石川県 金沢市 皮膚科 長谷川ひふ科クリニック−HASEGAWA SKIN CLINIC

院長 日本皮膚科学会認定皮膚科専門医 長谷川洋一

920-0981 石川県金沢市片町1丁目1番17号

Tel 076-221-1155 Fax 076-221-1199

所属学会

日本皮膚科学会、日本皮膚外科学会、日本皮膚悪性腫瘍学会

 

ご挨拶 

当院では患者様ひとりひとりのお話をじっくりと聞くことをモットーとしています。何気ない会話の思いがけない一言から病気の原因が見つかることもあります。また、皮膚の病気は病変部が見えることから人目を気にして心に深い傷を持っている方もいらっしゃいます。そんな方のストレスが少しでも解消できるような診療を心がけています。

地域の皆様が気軽に相談できるような心の通った診療ができるよう、また、良質で高度な医療を提供できるよう今後一層の努力を重ねていきます。

当院の成り立ち

当クリニックのあった場所には関川医院という小さな医院がありました。私の祖父関川愛一が家族で経営していた医院です。私の生まれ育った実家でもあります。曽祖父が大正時代に開設し、戦後まもなく祖父が跡を継いで50年以上診療していました。患者様の中には親子3代で診察を受けたという方も少なくないようです。祖父は特に大病を患うこともなく80歳を越えても元気に診療していました。生前は「ひ孫(私の娘)が成人するまでがんばる」と半ば本気で言っていました。

平成15年10月祖父は腹痛を訴え入院しました。そして、同年12月13日祖父は帰らぬ人となりました。あっという間のことでした。途中で一時退院できましたのでわずか1週間あまりでしたが診療をしました。さすがに不調は隠せず、患者様から「お大事に。」と言われながらの診療でした。結局死ぬ前日まで診療しました。仕事が生きがいの祖父でしたので本望であったと思います。

余りに急な死であったため、祖父に跡継ぎをどのように考えていたのか直接聞くことはできませんでした。また、私のほうも公私ともに十分な準備ができていませんでした。そのため、祖父亡き後、関川医院は廃院することになりました。

祖父の死から3年余りの歳月が流れました。いろいろな選択枝がありましたが結局この場所で開業することを決意しました。3年の間に病院での勤務を続けながら、開業の準備を少しずつ進めました。古い木造の医院は祖父が50年以上守り、私が生まれ育った家で思い入れもありました。しかし、あまりに古く耐震性耐火性にも問題があり結局取り壊し新しい医院を建設しました。

そして、平成19年4月16日長谷川ひふ科クリニックとして再出発いたしました。

 

プロフィール

昭和41年 金沢市に生まれました。

昭和48年 金沢市立長町小学校(中央小学校に統合)に入学しました。近所の絵画教室に通っていて、小学5年の時にその教室の先生(滝川巌先生)の勧めで油絵を始めました。

昭和54年 金沢大学教育学部附属中学校に入学しました。入りたかった美術部がなく紆余曲折を経て2年生からブラスバンド部に入りました。パートはトランペットでした。

昭和57年 金沢大学教育学部附属高等学校に入学しました。ブラスバンド部と新聞編集局に所属していました。油絵も続けていました。勉強以外の活動が忙しい日々でした。

昭和60年 金沢大学教育学部附属高等学校卒業。画家への道はあっさり諦め金沢大学医学部を受験しましたが不勉強がたたり1年間浪人しました。

昭和61年 金沢大学医学部医学科に入学しました。念願の美術部に入部し毎日絵を描いていました。

平成 5年 金沢大学医学部医学科卒業。同年金沢大学皮膚科学教室入局。祖父が皮膚科医であったことや皮膚科の先輩方の熱心な勧誘もあって皮膚科を選びました。

平成 5〜14年 金沢大学医学部附属病院、黒部市民病院、公立加賀中央病院、公立穴水総合病院、市立敦賀病院に勤務しました。

平成14年から加賀市民病院(旧公立加賀中央病院)で皮膚科医長として5年間勤務しました。この間アトピー性皮膚炎、白癬症、膠原病、皮膚癌、褥瘡など皮膚疾患を幅広く診療しました。特に手術は積極的に行い悪性良性含めて年間平均100件以上の手術を行いました。

平成15年 皮膚科専門医取得。

平成19年4月16日長谷川ひふ科クリニック開院。

院長の作品を展示しております。

HOME

All Rights Reserved,Copyright ©HASEGAWA SKIN CLINIC.2007